私の備忘録

ひとりで徒然書いております。

自己評価

人との恋愛にはどうしても世間体というものが間に挟まっている。

 


私は子供が嫌いで、妊婦さんが苦手で、出産という工程、セックスという生産が嫌いだ。子供ができる神秘的な行為を「生産」などと言っている時点で駄目なのかもしれない。でも私にはそう見えてしまって仕様がない。

 


凹んだ腹が月日と共に膨らみ、動き、やがて生まれる。そのたった十月十日の出来事が理解できない。自分の腹の中に得体の知れない何かがいる。それは私でも無ければ相手でもない。誰にも検討もつかない、生命体が自分の栄養分を取ってそこに居座っているのだ。

 


人間という動物に生まれたからには、種を残し、繁栄していくのが生命活動の大部分にある。子宮が付いている以上、それは殆ど義務とかしている。勿論、世の中には望んでも子供が出来ぬ人も五万といて、私のこの考えは非道徳的で、教育上よろしくないものなのだろう。

でもそんな正論をかざすことが出来る人間は恵まれているのだろうと私は思う。

嫌悪感というものは必ず理由がある。例えばブロッコリーを見て昔まずいブロッコリーを食べたことを思い出すから嫌いだ、とか。そういう本人にとっては良くない思い出を思い出すから、嫌悪感だとかを感じるんだ。

私は児童虐待育児放棄の経験がある。

父は酒と煙草。ギャンブルには手を出していなかったようだが、うちにはなぜか何時も金が無かった。自分の子は特別だからと3歳の私を自転車に乗せ、転けると私を殴り罵倒した。食事中にこぼすと「行儀が悪い」と言い殴る。

母はDVをうけ、離婚後その反動か、気に入らないことがあると発狂し、物を壊した。私の成績が気に入らず6階から吊るしたり、竹製の物差しで尻を叩いたりした。時にはフライパンを洗ってないと言って食器棚をフライパンで叩き壊した。

私自身も常に親が世界の中心で、親の気に入らないことはしなかった。

姉達の様に運も無ければ、学も無く、また運動が出来るわけでも無かった。

私には何も無かったから作るしか無かった。

頑張って頑張って頑張ったけど、母が認めてくれることは無く、自傷が始まり、拒食に至り、自分で見つけた病院で診断を受け、家を飛び出し入院した。母が入院中に来ることは無く、児童相談所に来ることも無く、私は児童養護施設で暮らすことになった。

何処で間違ったのか、何をしたら良かったのか。

多分、私は何も間違っていないし、何をしてもあの家庭は戻らなかったと思う。

私も私を褒めてくれる、認めてくれる母親を必要としていたし、母もまた理想の、自分を歪み無く愛してくれる母親と娘を必要としていた。

私はただその理想には程遠い娘だったのだろう。だから姉妹内で差別されていたし、上の3人は部活でも進学でも自分のことを好きなように選ばせてもらえたのに、私は何も選ばせて貰えず、また、身の回りのものも何も与えて貰えなかったのだと思う。

あの家庭は破綻していた。

最初から家庭とか、そういう概念では無かったのかも知れない。一番近いのは同居か、ルームシェア。誰も干渉せず、また会話も無い。そういう場所であった。

感謝すべきことは高校まで行かせてくれたこととだろう。学費(と言っても母子家庭だったので免除だったが)と交通費。あと制服や学校に必要な教科書は買ってくれた。奨学金は使い込まれていたが。

母は固定概念や偏見に囚われてはいたが、非常に知的で、知識の幅と量に富んでいた。また、自分の好きな事には真っ直ぐで、手間や金を惜しまず、文才に優れていた。

そんな母を尊敬していた。だから認めて欲しかった。他の姉の様に褒めて欲しかった。


いつからだったか。小さく、か弱く、泣いている子供を見ると苛つく。ぎゃあぎゃあと叫び親に懇願している姿を見ると耳を塞ぎたくなる。

私もいつか妊娠して、子供を産み、そして親になる。

親になったとして、私は親になれるのだろうか?私の中の親は既に死んでしまっている。死人を見習えと言ったって、死人は死人。生き返りはしないのだ。

私は母親になること、というより、同じようにあの人になることを恐れている。私の中の親はあの二人であり、自分もああなってしまうのかと思ってしまう。

何かわからない物体を腹で育て、産み、人間として成形していく。ひとりの人生を私が好きなように出来る。そんな重圧、耐えられるはずがない。

恋愛の先には結婚があり、結婚の先には出産がある。

恋の先には愛があり、それを表す方法としてセックスがある。

私には他人と裸で向き合う自身がない。私という人間は他人に合わせ、他人が気にいるように生きてきた。

アームカットの跡も、打撲傷の多い足も、噛み剥いでしまって異常に短い爪も、全部全部洋服で隠してしまいたい。

誰からも嫌われぬ様に笑顔が素敵で明るい「私」でいるために、私は「私」を守っている。

本当は自身もなければ自信も無い。誇れることなど何も無い。それが私。何も無い人間が取り繕って他人から必要とされる要素だけを取った結果だ。

だから、本当は弱い人間なのだと相手にさらけ出すのが怖い。否定されることが怖い。一線を越えて、もう戻れない関係になって、否定されるのが怖い。

私は万人に好かれていたいのに、その好かれた誰か一人に一線を越えられることを恐れている。

私は、どうしようもなく人間として欠落している。